9/11:山岳映画と十二年山道探索記録報告
2009/09/11(Fri)00:01
この夏から嬉しい事に[劔岳・点の記][里山・映像詩]など山岳映画が続いて上映されます。当方は昨7月に劔岳を見に行きますが、客席は登山家と思しき壮年紳士でビッチリ埋まっており「山を愛するお父さんが大勢いるっ」と、この団塊Jr.は喜ぶのでした。
公式記録では剱岳初登頂は1907年陸軍参謀陸地測量部であります。ただ地図を作るためだけに前人未到の霊峰を目指し「誰かが行かなければ道は出来ない」と案内人は諭し測量隊は決起します。
山頂に在るべき三角点は緯度・経度・標高を三角測量するよう設置されますが、その点数ほど測量士方の功労が偲ばれるものです。高山へMTB担ぎ上げた方なら、自然の偉大さ厳しさに立ち向かう人々の魂に感銘を受ける映像作品です。
劔岳は標高2999mですが、先月当方も未知の2600m火山から探索しつつDHしました。しかし濃霧のなか行先不明で「この道間違えたら遭難だな...」と戸惑い、劔岳の過酷シーンを彷彿とさせ自然脅威が迫る思いをします。
映画にて地図作成の意義を理解しすっかり感化されたので、これまで作成したトレイルMapを精緻化→体系化できるよう1ヶ月半でまとめあげ完成に至ります。
かつて街乗り族だった当方は1997年に初入山します。当時のMTB仙人御仁[山岳サイクリング研究会]著書の【秘蔵版 MTBツーリングブック】を熟読しますが、その地図は大まかな手書きでリアリティに欠けます。この未熟者は解らず度々山中で困り果て、あげく山域ごとに国土地理院1/2万5千地図を買い略図と照会していくのでした。
当時Netインフラも黎明期で地図サイトも無く、やがて⇒カシミール3Dという山岳地図作成ソフトが登場。それを駆使してトレイル仮想探査が出来て飛躍的にルートコレクションが増大します。それ無くば活動継続はなかった程なのです。
初入山から干支回り12年。弊山ゲリラ隊は尾根通過分含めると約50座の山を走破します。中でもまともに走れるルートは5割ですが、それは同志協力が有っての成果だと感慨深く思えます。
▲参照:mtrwebトレイル探索心得⇒TRAIL SEARCHに掲載
そして去年からは探索活動は控え、出会う逞しい有志にマニアック快走山を伝えている次第。よく同族方のBlog等で示す山名をWR山・SGN尾根などと略しますが、MTB走可能トレイルはモラル上公開できず、登山者報告ではあり得ない悲しさがあります。MTBを活かす場を知らぬまま期待の結果を得れず行動頓挫する人も多いのではと思われます。
だからこそ同族の衰退危機を脱するには、ヤル気同志に遊び場を伝承していく他ありません。12年分奥多摩・奥武蔵ルートデータ一式で1GBに成りますが、いずれ熱血勇士に引き渡します。そして果敢な者達がやがて自らリスク承知で山道探索を目指すなら、その時こそMTBの嗜みの道を極めるステージでありましょう。
この度、山行記録をまとめた節目報告でしたが、本格山岳自転車族=(絶滅危機種)の皆様も地図・写真・Blogなり、ご自身が活きた証を建てて頂きたく思う次第です。
これまで山遊びを通じ類は友を呼び「バカはバカと遊ぶしかない」と心に記しておりましたが、「山上で少年の如く過ごす事いわく、心清めることなり」が本望だと結論づけるのであります。同族方々未だにワンパクを止めることなく...[21世紀少年]でありますように。
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No.240|▲○Report & Plan|Comment(7)|Trackback()
無題
2009/09/11(Fri)04:56
共感いたします。
なぜ、ここまで気を使わないといけないのか?と考えてしまう事が多々あります。
>同族方々未だにワンパクを止めることなく...[21世紀少年]でありますように。
いつの日か、堂々と情報発信できる日が来る事を信じております。
弊方もそれ程、若くも無いのですが、続けれる限り[21世紀少年]でありたいと思います。
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