7/12:あぁ我が心の神保町散策記
2010/07/12(Mon)17:55
昨土曜は山往き予定を外したが、思いのほか晴れ肩透かしを食らう。そこで何か正反対の文化嗜好を求めて懐かしの街・神保町へ出向いた。
聖橋から駿河台を抜け古書街に着くが竹橋側は再開発されている。ここに来て新たな物は興味あらず不変な物に触れたし。界隈は老舗飲食店が未だ頑張って残り、千代田区と思えぬほど物価の安さも健在。今でも600円で立派な定食を得れる。なにせこの街に八年勤務二千日以上も通った若輩の自分は助けられた。
そして出版社通いのしがないデザイナーでも古書ならば美術本・洋書にも手が届いた。昼休み一杯の立ち読みで得た無益な知恵も数知れず、その挙げ句パンを事務所暗室でかじる様な日も多々あった。広告デザインでの表現案の想起するにも、この世界一の書店街が自分のアイデア図書館だったのである。同時に自分も表現者として本を作りたいと妄想した時代でもあった。
生活にまつわる写真・文章記録はこの頃に身に着く。人は歓喜・感動を基に成長するが、それさえやがて忘却していく。山で遊ぶにも「思いだせぬ出来事は消耗に過ぎず。記録なくば学習出来ず」が信条。それをして充実感を確信できるのである。
そんな学習の場へ久しくに再来すれば街の魅力を客観視できた。時を経て拘りある佇まいを変えない人達が集う街。そんな文化的な街は稀だ。
ふと立ち入る書店に三島由紀夫・薔薇刑があった。そこでかつて取引先で懇意賜った御仁の三島義勇隊・盾の会への心酔話を思いだす。「三島はピエールカルダンに軍服を作らせ百名分を自腹で支給した」「当時は極右・極左運動が盛んだった」など繰り返し聞かされた。その方の言い付けは厳しく、規律や精緻な作業を求められたのである。
光陰矢のごとし。月日は百代の過客というか。そんな方々も職場勇退された。振り向けば最も賢明に過ごした時代だった。文化の担い手方のお陰で職務にて活かされたのだ。いにしえの街を巡り、忘却から蘇る記憶を懐かしむ。そんな心の里帰り的散策だった。
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No.326|▲○Report & Plan|Comment(3)|Trackback()
偶然に感謝
2010/07/13(Tue)11:48
自転車話と愛車を撮って頂きありがとうございました。
僕も神保町に育てられた輩ですので、
貴文に深く同意で有ります。
これも文化継承の一部だと思えますよ。
No.1|by 鹿島|
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